東海道新幹線が開業して44年・・・
2008年12月、新幹線史に一つの区切りの時がやって来ました。
新幹線車両は在来線車両と比べて寿命が短く、基本は13年だそうです。
JRに移行されてから登場した300系も現在廃車が進行中で、
10年も経てば、姿もガラリと変わっているという事がよくわかります。
そんな中で、編成は短くなれど、44年間も当初と同様の姿を0系は保ち続けました。
もちろん開業当初の編成が44年間も走っていた訳ではなく、
当時の1次車も10数年で新造の0系に置き換えられ、
最後まで走ったR61、R67、R68の各編成は36次車の後期の編成、
置き換えられる毎に細部は徐々に変更されましたが、
約半世紀、ほぼ同じ姿で走り続けた事は、今思えば奇跡かもしれません。
定期での最後の運転。福山発新大阪ゆき、620A。
引退間近の切羽詰ったこの時期に無謀の流し撮り。
・・・もちろんトリミングしてます・・・
明日からこの時間には、もう0系は来ません。
1964年の開業から、ずっとどこかで、走り続けていた0系新幹線。
運転席には花束・・・659A、「こだま659号」。
これが定期で最後の列車。私が最後に乗車したR68編成。
たくさんの人に見送られ、終着駅博多へ・・・
定期営業運転は終わり、1週間後・・・
新大阪発博多ゆき、「ひかり347号」の送り込みを撮影。
第一線を退いて10年以上経った0系新幹線。
永らく「こだま」として走っていた0系が久々の本線通過。
「無事に走りきれるか?」などと、素人ながらに心配したりしていました。
そしていよいよ「ひかり347号」の通過。
遠くまで見通せる吉井川を撮影ポイント選びましたが、
現在では足が遅い0系とはいえ、通過は一瞬の出来事。
まだ紅く燃える山々を背に走り去ってゆきました。
最後の日。西明石駅にて「ひかり340号」の本線通過を撮影。
ホームはたくさんの人で埋め尽くされていました。
「ひかり347号」は高雄山山頂から。
最後の時を、少しでも長い間、見送れるように・・・
さようなら、0系新幹線。